その結果、DNAの標準構造である二重らせん構造が分子クラウディングによって不安定化するのに
対し、非標準的な三重らせん構造や四重らせん構造が安定化することが明らかになりました。さら
に注目すべきことに、このような分子クラウディングの効果は、
DNAの二次構造によって決定され
ているのではなく、その構造を形成する塩基対様式によって決定されていることも示されました。
すなわち、ワトソンクリック塩基対は、分子クラウディングによって不安定化するのに対し、非標
準的なフーグスティーン塩基対は分子クラウディングによって安定化することが見出されたのです。
これらの結果は、細胞内において、
DNAが二重らせん以外の多様な構造を形成できる可能性を示唆
するものです。詳しくはこちら1。


さて、塩基対を形成していない領域に対する分子クラウディングの効果はどのようなものでしょう
か。そのような構造に、枝分かれ(ジャンクション)構造があります。
DNAのジャンクション構造
は、遺伝子の相同組み換えなどでみられる構造です。このジャンクション構造が、分子クラウディ
ングによって安定化することが明らかになりました。興味深いことに、分子クラウディングは、
D
NA
の構造を正しく折りたたむために必要な、シャペロン様の役割を果たすことも示唆されました。
詳しくはこちら2


現在では、DNAのヘアピンループやダングリングエンドなどの非塩基対部位に及ぼす分子クラウデ
ィングの効果についても、興味深い結果が得られつつあります。さらに、
RNAの高次構造に及ぼす
分子クラウディングの効果についても研究を進めています。このような取り組みから、
DNAR
NA
の環境応答背うを化学的に解明し、DNARNAがどのようにして役割を分担しあっているのか、
という点についてアプローチしていきたいと考えています。
現在は、四重らせん構造のみならず、枝分か
れ構造等のより複雑な高次構造に及ぼす、細胞内環境の効果を検討しています。さらに、
DNAは、細胞核内に存
在していることから、細胞核内の環境を化学的に再現し、そのような環境下における
DNAの構造や機能を解明し
ていきます。このような取り組みを通じて、遺伝子発現制御機構(エピジェネティクス)に対する化学的なアプ
ローチを展開していきたいと考えています。

その答えは、「状況による」でした。すなわち、周辺の環境が変化すると、テロメアの構造が四
重らせん構造となったり、二重らせん構造になったりすることが示されました。興味深いことに、
細胞内で変化する環境因子(一価カチオンの種類やその濃度、金属イオンの種類やその濃度、水
素イオン濃度(
pH)、分子クラウディングなど)によって、核酸の構造がダイナミックに変化
するのです。

しかし、DNAは、ワトソンクリック塩基対以外の塩基対を使って様々な非標準的な構造を形成できる可能性があります。もしこのような構造が、細胞内で形成されていれば、遺伝子発現の制御をは\じめとして、多様な役割を果たすと考えられます。

テロメアは、細胞の老化やがん化に関与しています。テロメアの長さが短くなると、細胞分裂が
できなくなり、細胞死が誘導されます。一方、がん細胞などではテロメアの長さが長いことが知
られています。テロメアは、グアニンに富んだ繰り返し配列とその相補鎖からなっています。例
えば、ヒトの場合、
d(GGGTTA)が繰り返し存在します。このd(GGGTTA)nは、G-quadruplexと呼ば
れる四重らせん構造を形成することが知られています。また、その相補鎖は
[d(CCCAAT)n]は、
i-motifと呼ばれる四重らせん構造を形成します。それでは、それらを混ぜた場合はどのような構
造を形成するでしょうか。相補鎖どうしですから、二重らせん構造を形成するでしょうか。それ
とも、それぞれが四重らせん構造を形成するでしょうか。

そこで、非標準構造を形成する可能性が高いDNAとして、染色体の末端に存在するテロメアに注目しました。

Biomolecular Design Lab.

分子設計化学研究室

さらに、近年では、このようなグアニンに富んだ配列やシトシンに富んだ配列が、ヒトゲノムの30
万か所以上も存在することが報告されています。これらのことから、細胞内においてDNAが、極め
て多様な構造を形成し、さらにその構造多様性が、細胞内の化学的環境によって制御されているこ
とが考えられます。
特に、細胞内環境因子として重要なのが、分子クラウディングです。細胞内で
は核酸・タンパク質・糖類・脂質・ポリアミン類などの生命分子が高密度に密集した分子クラウディン
グ状態(分子が込み合った環境)にあります。このような生体分子の濃度は、
400 g/Lにもなり、
細胞内の体積の
40 %程度を占有していることが知られている。一方、生化学的な実験がおこなわれ
る試験管内では、標的分子の濃度は、数μ
Mから数mM程度であり、希薄な分子濃度であります。
この分子濃度の違いは、多くの生化学的実験では、無視されてきましたが、近年になり、分子クラ
ウディングによって、タンパク質の構造やその熱力学的安定性、さらには酵素活性などが大きく変
化することが明らかにされてきました。しかし、分子クラウディング状態における核酸の構造やそ
の熱力学的安定性に関する知見は皆無でした。強調すべきことに、分子が込み合った環境は、細胞
内だけではありません。例えば、基板表面、粒子の表面、マイクロ流路内等では、分子濃度が通常
の試験管と比べて大きく上昇します。そのため、マイクロアレイ・チップ、ゲル、センサーなどの
テクノロジーにおいても、分子クラウディングの概念が極めて重要になってきます。
そこで、我々
の研究グループでは、核酸の物性に及ぼす分子クラウディングの効果を定量化することを試みまし
た。

1.1.細胞内におけるDNAの物性

DNA
の標準構造は、ワトソンクリック塩基対によって形成される二重らせん構造です。この美しく
かつ洗練された構造は、遺伝情報の保持、複製、転写に極めて適していると言えます。